【イベントレポート】「LUFT+大友良英+一楽儀光」

長崎市チトセピアホールでは自主事業として 「LUFT+大友良英+一楽儀光」を開催しました。
ここでは長崎在住の音楽批評家・よろすず氏によるライブレポートを掲載します。

* * * * * * * * * *

3月4日、長崎市のチトセピアホールにて「LUFT(Mats Gustafsson, Erwan Keravec) 大友良英 一楽儀光」による公演を鑑賞した。マッツ・グスタフソンは2015年に福岡でThe Thing & 坂田明としての凄まじい演奏に触れて以来の久々の鑑賞、バグパイプ奏者のエルワン・ケラヴェックに関しては名前を耳にするのも初めてでしたがなにぶん珍しい楽器ですし、これを逃す手はないだろうという絶好の機会。大友良英と一楽儀光に関しては、過去にチトセピアホールでのイベントにも出演されているため説明不要かと思います。

この日は最初に一楽儀光によるソロ・パフォーマンス、続いてLUFTと大友良英の三者によるセッション、そして一楽儀光を加えた4名でのセッションを(小休止を挟んで)2度披露、更にアンコールにも応えていただけるという正にお腹いっぱいの内容でした。

まずは一楽儀光のソロ・パフォーマンス。モーションキャプチャーと思われる機器を指に装着し、手のジェスチャーでモジュラーシンセのサウンドを操る、その名も「TEBURA」という特異なアプローチでしたが、演奏の冒頭でステージの中央に歩み出て、指揮者を思わせるかなりわかりやすいジェスチャーで音をコントロールしてみせたため、おそらく観客の多くにその意図や仕組みは一発で伝わったのではないかと思います。実際は様々なモーションに対応して発されるサウンドの種類や発音プログラムの変更など複雑な割り当てがあると思われますが、聴衆にとっては(例えば空中で手を弾むように動かすと打楽器的なサウンドがそのリズムのまま鳴るといった具合に)ジェスチャーに対してのサウンドの反応が掴みやすく、演奏者自身だけでなく鑑賞者にも「身体性」を感じさせながら電子音楽を演奏するという方向性が非常にビビッドなかたちで具現化したパフォーマンスでした。

出ているサウンドは非常にノイジーな高周波から様々な音色のバリエーションを持った打楽器的なもの、変調されたピアノのようなものまで幅広く、場面によっては様々な音が重層的に乱打されカオティックな様相となっていましたが、そのような音の渦の中に手の動きと同期するサウンドの浮き沈みをほんの少しでも掴めるだけで、聴こえ方に立体性が生まれ、カオスの中にある自律や秩序を手繰り寄せながら聴いていけるため、意識の中で音が飽和せず、まるで耳が受け入れられる情報の許容量が上がったかのような感覚がありました。氏は過去に開発したレーザーギターや、この日も使用していたジョイスティック的なコントローラーなど、電子音で演奏を行ううえでどのようなデバイスでどのように音を制御するかという点に長年注力しているイメージがありましたが、おそらく根源的には自身の身体性に紐づいているであろうその探求が聴衆の側にもポジティブな効果を及ぼし得ることが実感できたのが非常に大きな収穫でした。

以降の「LUFT + 大友良英」、更に一楽儀光を加えたセッションに関しては、本当に多種多様な展開があったためそれらを微細に書き起こすことはできませんが、相当に過激なサウンドが出ている場面が多々あったにも関わらず、記憶の中では4者それぞれに対して感じた驚きや新鮮さが綺麗に拮抗しており、とてもバランスの取れた風通しののいい音楽体験であった印象です。本公演の神髄は複数名による「セッション」であるため、異なる人間の出したサウンドの重なりが総体としてどのように響いたかが最も重要な部分ではありますが、ここでは各演奏者にスポットを当てるようなかたちでそこから私が得られた驚きや鮮烈さを言葉にしてみたいと思います。

マッツ・グスタフソンはフルートに始まり、スライド・サクソフォンや小さな縦笛のような楽器など他で目にしたことがないような風変りな楽器も駆使し、曲がりくねったようなフレーズや息の音や破裂音のようなサウンド、更に発音に声を混ぜるなどアプローチを頻繁に変えながらの演奏。彼に対しては(様々な楽器を演奏できると知ってはいたものの)The Thingでの演奏など、サックス奏者としての活躍がやはり印象に強く残っており、いまだにそれがメイン楽器という認識があったのですが、この日はサックスを手にする時間は非常に少なく、それ以外の様々な側面を観ることができました。トリッキーな奏法もかなり駆使していた印象ですが、特にフルートにサックスのマウスピースを無理矢理取り付けて縦笛として演奏しているのは驚きでした。

一楽儀光はモジュラーシンセとドラムや小物、大友良英はギターとターンテーブル、そしてエルワン・ケラヴェックもバグパイプに加え手の指に隠れてしまうような小さな笛(ティン・ホイッスル?)を使い分けていましたし、全員が楽器の持ち替えを行える彩りがこの日の特性ということはできるでしょう。


大友良英はギターとターンテーブルをセットアップし、流れに応じてそれらを行き交いながら演奏。最も印象に残ったのは、金具を弦に押し当てスクラッチするような、氏が多用する奏法から発せられるノイジーなギターのサウンドで、(筆者が最前列かつギターアンプの正面の位置に座っていとこともあってか)鳴らされた瞬間に他の全ての音を追い越して耳に飛び込んでくるような鮮烈さがありました。エレクトリック・ギターの音は構造上弦の振動をピックアップで拾い、電気信号に変換しケーブル~アンプを通ってスピーカーから出てくるので、ほとんど認識できないレベルだとしても僅かなレイテンシがあるはずですが、この日鳴っていた様々な音(電子楽器や生楽器のマイキング音などのPAスピーカーから出る音や、生楽器から直接耳に届く音)のどれよりも張り詰めたようなレスポンスの速さを感じさせ、むしろ生楽器の直接音以上に生々しく耳に入ってくる感覚がありました。

ターンテーブルのほうも流石というか、本当に多様な音が繰り出されていて、バグパイプのドローンのうえでノイズをゆらゆらとたなびかせてみたり、アームを投げだしてバウンドするようなバチバチとしたノイズを差し込んでみたり、スーパーボールのような小物を押し付けたり手で土台を叩くことで振動をそのまま音に反映させてみたりと、耳にも目にも管楽器の持ち替えに全く劣らないバラエティを感じさせてくれる演奏。特に一楽儀光が加わってからは、ターンテーブルとモジュラーシンセが丁々発止に音を明滅させる瞬間が何度かあり、モーションキャプチャーという新たに開拓された(ように見える)身体性の在り方が、アンコントロールな所作にすら熟練を感じさせるターンテーブル操作に息づく身体性に対峙しているかのようで刺激的でした。

エルワン・ケラヴェックのバグパイプ演奏も大変興味深いものでした。この日他の出演者が用いていたギター、サックスやフルートなどの管楽器、モジュラーシンセなどに比して、バグパイプはそもそも生で聴く機会自体が非常に少ないですし、更にこのような周りの状況に対して常にフレキシブルな応答が求められるような即興演奏でそれを用いるとなると他の例があまり思い浮かびません。

バグパイプは空気を溜めておく留気袋(バッグ bag)に縦笛のような複数の管が接続された非常に風変りな楽器です。発音はバッグに溜まった空気を圧力をかけて押し出すことで行われ、空気がなくなる前に口元へ伸びている管から空気を補充すれば途切れることなく延々と音を出し続けることも可能となります。この特性を活かして、多くのバグパイプには、複数の管の中に、演奏者が指穴を押さえて旋律を奏でるチャンターと呼ばれる旋律管の他に、一定の音を持続的に出し続ける目的のドローン管と呼ばれるものが複数取り付けられています。

この日のような移り変わりの激しい即興演奏の中では、その性質上頻繁に音の表情を切り替えたり、瞬時に発音と消音を行うことが難しく、むしろ一定の音を出し続けたり一つのムードや楽想を徐々に膨らませていくことに特化したこの楽器がどのように振る舞うかは常に興味を引く部分でしたが、Erwanはドローン管を鳴らさずにチャンターのみで演奏したり、ドローン管の先をタップする面白い動作でその発音のON/OFFを行って見せたり、そして演奏がある程度煮詰まってくるとしっかりチャンターとドローン管をフル活用した重層的な演奏へ移行したりと、極端にトリッキーなアプローチをとるわけではなく、楽器の機能を適時取捨選択しながら周りのサウンドとの応答を実現していました。

特に印象的だったのは、彼がドローン管を駆使した演奏を行っている中で他の奏者がそれに音を重ねるだけでなく、時折すっと身を引くように音を止ませることで、轟音の中からバグパイプのドローンが凪のように浮かび上がり、潮の満ち引きや波のうねりを思わせる起伏が何度も巻き起こっていたことでした。彼がいなければ、演奏はもっと瞬発的な明滅やストップ&ゴーの多発するものになったのではないかと想像ができますし、他の楽器に比べ轟音の中に埋もれてしまう場面こそ何度かあったものの、そういった状況下でも演奏の重心として向かう方向を自然と指し示していたのが彼の音だったのかもしれません。

文:よろすず(aka Shuta Hiraki)(1990年生まれ、長崎県在住。アンビエントヤクザ。よろすず名義で音楽についての情報発信や執筆、Shuta Hiraki名義で音楽制作を行う。)