【イベントレポート】「若林恵 文化講演会『あたらしいハコモノのカタチ』」

7月8日、長崎市チトセピアホールでは自主事業「若林恵 文化講演会『あたらしいハコモノのカタチ』」を開催しました。

本講演会は、チトセピアホールが公共ホール職員向けに開催していた研修会を公共文化施設職員や一般の方々にも広く参加できるスタイルにリニューアルしたもので、第二回となる今回は「WIRED」日本版前編集長で現在はコンテンツレーベル「黒鳥社」を主宰する編集者・若林恵さんをお迎えしました。当日は、日々目まぐるしく変貌を遂げる現代において既存の社会システムが旧態化し極限を迎えるなか、文化の新しい価値を発見し重要性を再定義することを通して、文化が自らのフィールドのみならず福祉や経済、地方自治に資する可能性について、国内外で現在進行形で進められている事例にふれながら、広範で示唆に富んだ講義が展開されました。

■そもそもなぜカルチャーは必要か
複雑多様化する社会において文化の必要性についてそもそもの定義を行うことは困難であり、まずは便宜的に現在の文化行政の文脈にもとづき二つに定義することで見えてくるものがある、という論点の整理から講演はスタートしました。ひとつは産業社会における余暇として市民が楽しむエンタテイメントとしての「文化」。そしてもうひとつは近代化とともに国民教化の過程で身につけられるべき教養とされた「文化」。前者はマーケットソリューションの文脈として、後者はヒエラルキーソリューションとして位置づけられると若林さんは見立てます。

■21世紀における課題
そしてこの二つの文化ソリューションはそれぞれに課題を抱えていると続けます。
まず、マーケットソリューションにおいては、価値観やニーズの多様化に対応するために娯楽としての文化の提供主体を公共から市場に委ねた結果、経済合理性に適合しない文化の価値が認めづらくなってしまったこと。
そしてヒエラルキーソリューションでは、国民教化が一定の成果を得た果てに市民の中に上意下達的な教養主義を忌避する流れが生まれ、教養の有用性や価値をめぐる認識の違いから市民が分断し、ポピュリズムの増幅につながるおそれがあること。
このように近代以降に国民国家を統治するための既存の二つのソリューションが旧態化し悪弊につながる現状を前にして、あらためて文化の価値を発見し、必要性・重要性を再定義するべきである、という問題意識が提示されます。

■増大し連鎖する社会的課題を解決するツールとしての「文化」
それでは新しい文化の価値とはなにか?そのひとつ目に若林さんが挙げたのは、社会的課題を解決する機能についてでした。 “サウス・バイ・サウスウエスト”(テキサス州オースティンで行なわれる、音楽祭・映画祭・インタラクティブフェスティバルなどを組み合わせた大規模イベント)での議論を取り上げ、孤独や分断、ソーシャルセキュリティ、アイデンティティ、ウェルビーイング、経済…など現代社会が抱える連鎖的な社会的課題や不安要素に対し、文化がもたらす心の豊かさやケアが社会包摂のツールとして有用であると指摘します。また、フランス人指揮者パスカル・ロフェの“現代音楽のオーケストラは新しい市民社会のモデルである”という言葉を引用し、個人の自立と社会の調和を両立させる新しい社会のロールモデルをオーケストラに見出すように未来の社会モデルの構築に文化は有効ではないか、という指摘もなされました。

■経済のドライバーとしての「文化」
次に提示されたのは文化が持つ都市の経済を推進する機能について。観光産業におけるインバウンド需要として現在の主流である個人観光客の買い物消費の次に来るものとして、クリエイティブな人材やコンテンツ、施設の持つ高いポテンシャルについて、オースティンや深圳、ベルリンの例示を通し、その多大な経済効果への期待が語られました。そして世界から選ばれる都市となるには、未来の宝とも言える才能あふれる若者を呼び込むことが不可欠であり、その国際競争に勝つためには体制構築が国家政策レベルで求められること。また、地域が文化で活性化することはそこに住む市民のシビックプライドの醸成にも繋がるという点においても重要である、と説きます。


■コミュニティソリューションとしての「文化」
そして、マーケットソリューションとヒエラルキーソリューションという既存の文化の機能が無効化する局面で、それに変わる枠組みとして重要なのは「コミュニティソリューション」であると続けます。市民が相互扶助の精神と共に共生社会を目指すと同時に、公共施設はそのハブとして機能することが求められる。加えて、行政が取るべき政策は教化・管理・規制ではなく、市民や企業と共に考え育てていく姿勢が重要である、と。デンマークデザインセンターを例に取り、デザインシンキングをもとに行政と民間の中間組織として効率的に社会的課題を解決に導くイノベーションチームとしての仕組みを評価すると共に、中間組織ならではの発想力、機動力と自由度の高さこそがポイントであると分析。AIの発達で種々の業務が自動化される流れにおいて行政に求められるのは、従来の事務的スキルではなく、モデレーター、ファシリテーターとして社会をつなぎ仕組みをつくる役割である、と未来の行政府のあり方が示されました。

■予測できない未来を前にして
最後に若林さんからは、社会に対する影響要素が多様化複雑化し右肩上がりの成長はおろか現状維持さえも困難で見通しの立たない現代において重要なのは、チャレンジングな姿勢でありそのために文化は有効である、というメッセージが発せられました。作曲家・藤倉大の“現代音楽は50年後の音楽をつくっている”という言葉を引き、誰もがその先を予測できず確固とした正解が用意されていない未来だからこそ、とりあえず始めてみてそのときそのときの最適解を明らかにしていく、そしてその試みを支え評価する社会や仕組みをつくっていくことがサヴァイヴにつながる、と締めくくりました。


講演後はロビーで情報交換会を開催。市内の公共文化施設職員はもちろん市外、県外からの参加者の皆さんとともに若林さんを囲んで“あたらしいハコモノのカタチ”を語りあう交流の場となりました。

チトセピアホールではこれからも公共文化施設のありかたについて考える講演会を企画していく予定です。ご期待下さい!