【イベントレポート】「内藤廣講演会―建築を哲学する。」

1_5

長崎市チトセピアホール(指定管理者:有限会社ステージサービス)は自主事業として「内藤廣講演会―建築を哲学する。」を7月15日に聖フィリッポ西坂教会で開催しました。翌日に開催される「チトセピア建築映画祭」のプレイベントとして企画されたこの講演会、内藤廣先生の講義が、今井兼次が設計した長崎を代表する名建築の中で聴けるとあって、市内だけでなく九州各県や関東からも聴講者が集まりました。

今回のテーマである「建築を哲学する。」にちなみ、内藤先生が過去に読み親しんできたドゥールズ=ガタリ、ハイデガー、市川浩らの言葉を引用しつつ、過去に建築について哲学的な解析を試みた先人たちについての考察から講演は始まりました。

2

■「建築は建築家そのものである。」
建築家が出来ることは建物の中の“空気”をつくること。建物には作り手の身体的な感覚が反映され、それは建物の中の空気感に現れる。身体的な感覚は各人の育った原風景に影響され、その土地の風土も大きな要因となる。

■「建物に己を出しきる。」
この西坂教会には設計者である今井兼次先生が自分を捧げているのがわかる。技術やトレンドを意識するのではなく、己を出しきった情熱の込め方が設計図から伝わるし、最近流行の小器用な建築とは一線を画するものである。

6

■「日本=にじみ。」
日本と西欧では湿度の違いが、光と影との境界線にあらわれる。高温多湿の日本では、光と影の境界が曖昧で、その“にじみ“が日本の風景や建築の特徴である。書院造では屋外からの光や空気、風の流れが複雑に反射しながら室内ヘ差し込むことが特徴的な空間となる。

7

■「街に“ひだ”をつくる。」
陽だまり・風だまり・緑だまり・水たまり・・。街に“ひだ”をつくることで、そこが居心地の良い場所となり人がたまるようになる。風や光の“ヌケ”の良い空間だけでなく、境界のはっきりしない“にじみ”の空間が建築にも街にも必要。

■「記憶は遠のいていくけど、その記憶の近くにあるもの、それが建築」
広島や長崎、そして三陸や福島など多くの人が亡くなる事故や天災が起こる中でも、人間は記憶が遠のいていく。それに対して建築は生と死について考える場所であるべきだし、記憶を近くに留めるもの。メディアで流行のわかりやすい建築もいいけれど、建築の本質である空間に対するイメージや体験性を大事にしていかなければならない。

■最後に
「明日死ぬつもりで仕事をしなさい。百年生きるつもりで仕事をしなさい。」という言葉がある。この相反する二つの考え方を両方持つことが建築家にとっては大事。現在の社会のシステムに縛られて仕事をするだけでなく、これからは、違うやり方を考えなければならない。今井兼次先生も設計したときはきっとそう思ってこの教会を建てられたのだと思う。

8

このあと会場から質疑応答の時間が設けられました。会場には建築を学ぶ大学生が多く来場していたこともあり彼らからの率直な質問に、ときに真摯に、ときにユーモアを交えて答える内藤先生の姿が印象的でした。

【実施概要】
(日  時) 平成28年7月15日(日) 19時~21時
(参加者数) 100名
(主  催) チトセピア建築映画祭実行委員会
(協  力) 長崎都市・景観研究所 NPO法人GSデザイン会議 聖フィリッポ西坂教会